いきなり始まったブログですが、今日はこのブログの主人公「ママちゃん」の紹介をしたいと思います
年齢は80歳
2024年12月にアルツハイマー型認知症と診断されました
ママちゃんの軌跡
7人兄弟の末っ子で、小さい時から算数、数学が得意でした
ケーキ屋さんに就職し、そこでパパちゃん🤵に見初められて結婚💒しました
長らくパパちゃんと一緒に、日本料理のお店を切り盛りしていましたが、パパちゃんが20年前くらいから体調を崩し、お店は閉店することとなりました
パパちゃんの病気は国指定の難病で、治療法はなく日に日に病状が悪化するのみでしたが、ほぼ自宅で介護していました
パパちゃんの体調が悪くなったときに、ママちゃんは既に最期まで介護して看取ると覚悟を決めていたのか、独学でヘルパーの資格を取りました
介護が大変だったので、ナースみみの勧めで、一時的にホスピスにも入院🏥しましたが、「あんなとこに居たらパパちゃんがかわいそう」と言い、3日で自宅🏠に連れて帰りました
その後パパちゃんを最期まで、自宅で看取りました
パパちゃんが亡くなってからの一人暮らし🏠
パパちゃんが亡くなった後、ママちゃんは、うつ状態になりました😔パパちゃんの介護ベッドはなくなり、代わりに仏壇が。。。
ママちゃんのお友達の方にお願いして、切り絵教室や🎸ウクレレ教室に誘ってもらいました
それでも、うつ状態はあまりよくならず、ママちゃんは自分から👨⚕️心療内科に通院していました
ナースみみは、このころ仕事が忙しく、一人になったママちゃんに寄り添うことができていませんでした
今思うと、この時のママちゃんは、寂しく、悲しく、不安でいっぱいだったと思います😢なのに、寄り添うことができず、心療内科に行っているなら大丈夫だなと勝手に思い込んでいました
今になって本当に後悔と反省をしています
読者の皆様も、親御さんのどちらかが亡くなられたとき、残された親御さんにはしっかりと寄り添ってあげてください
こういう時こそ、大切にしなければ何なのか、立ち止まって考えないといけなかったと今にして思います😔目の前の仕事の多忙さに任せて、大切なたった一人のママちゃんを一人ぼっちにしてしまったのは私だったのです
ママちゃんの怒り
それからしばらく、ママちゃんの気持ちに波はありましたが、4年位前のある日、ママちゃんは😡怒り始めました
「私をバカにしている」「親へのありがたみがない」などなど
毎日のように、恨みごとがたくさんの長文メール📩が届き、時にナースみみ宅🏠に押しかけてきて、1時間くらい怒りを爆発したり、情けないと言い泣き出したり。。。
挙句の果ては、警官👮が2度ほど私の自宅に来て、事情を聴かれたこともありました
そして、「薬を飲んで自殺する」「海に身を投げて死ぬ」「あなたの上司に全部言ってやる」ということを長々と書いた手紙✉️が届くようになりました
妹るるちゃんとも、ママちゃんへの対応について話し合い、少し間を置くことにしました
だけど、今考えるとこれは、ママちゃんからのSOSだったんです!
ママちゃんは、寂しい、悲しい、不安な状況で、娘2人に助けてほしかったんだと思います
ある日、ひょんなことから、孫もんちゃんにまでも怒り😡の矢が向くことになり、ここでやっと気づきました
本来のママちゃん
本来のママちゃんは、パパちゃんのことを献身的に介護し、私たち娘のこともパパちゃんと二人で一生懸命育ててくれたのです
怒っているママちゃんは、本来の姿ではなく、私や妹るるちゃん、孫のもんちゃんに対する🚦SOS発信だど分かり、ゆっくり話をしてみることになりました
ママちゃんは、パパちゃんが亡くなった悲しみ😔や寂しさに加えて、4年位前から物忘れがひどくなっていることに自分で気づき、さらに不安になっていました
そういえば、4年位前に一度、ママちゃんから認知症診断を受けたいから病院についてきてほしいと言われたことがありました
でもこの頃、ママちゃんはパパちゃんの介護のために取ったヘルパーの資格を生かして、ヘルパー🧹の仕事をしていましたので、「まだ認知症なんて大丈夫」とママちゃんに言い、病院へ行かなかったのです
でも、確かに最近は同じことを何度も言ったり、✉手紙の文章がおかしかったりしていました😔
ママちゃんとの関係性を戻すきっかけにもなると思い、妹るるちゃんとも話し合い、ままちゃんが以前から希望していた認知症の診断を受けることにしました
まず、ママちゃんが通っていた👨⚕️心療内科に、妹るるちゃんとママちゃんの3人で行き、🏥病院を紹介してもらいました
認知症の診断のためには、家族👪がついていき、家族も診断のためのテスト📝に参加する必要がありました
診断までに、いろんな検査(予約がなかなか取れず💦)を行い、約3か月要しました
この3か月間に、少しずつ、私、妹るるちゃん、ママちゃんの3人の関係性は修復🌈されていきました
コメント